2023年1月から放映されている大河ドラマ「どうする家康」(NHK)。作中では、激動の時代に天下を統一した将軍、徳川家康の生涯が描かれます。誰もが知る家康の物語は、普段歴史に馴染みのない人も楽しめるのではないでしょうか。
そんな家康が拠点としていた江戸城は、現在の千代田区の「皇居」に築城されていました。周辺には、ほかにも家康が携わった場所や施設が多く存在します。今回はそんな家康の所縁の地を9つ厳選してご紹介。ドラマをより熱中して楽しむために巡ってみるのもおすすめです。
大手町駅から徒歩4分の「御宿稲荷神社」。この神社がある内神田一丁目は、かつて武蔵国豊島郡神田村と呼ばれていました。
徳川家康が豊臣秀吉の命令により、領地を関東に移す際、宿をとった邸宅がこの武蔵国豊島郡神田村にあったと言われています。後年、この邸宅に祀られていた祠(ほこら)を、家康足留めの記念として名付けたのが「御宿稲荷神社」の始まりです。
「御宿稲荷神社」はその後の戦災で社殿が全焼。ですが、御神体は無事でした。社殿はその後、1956(昭和31)年に一度再建され、2007(平成19)年に新築されています。
JR四ツ谷駅から徒歩4分の「心法寺」。ここは、現在の愛知県に位置する三河国から、徳川家康と共に江戸に出た然翁聖山上人(ねんおうせいざんしょうにん)が開いた浄土宗の寺院です。
然翁聖山上人は江戸に出た後、三河に帰ろうとするも家康に引き止められます。そして、家康から江戸にとどまる代わりに市ヶ谷に広い寺地を与えることを提案されますが、然翁聖山上人はこの申出を断りました。そして「衣食が十分だと僧侶が怠け者になり、仏に仕えることがいやになる」、また「江戸に移住した町人たちのために大衆的なお寺にしたい」という理由から1597(慶長2)年、現在の場所に「心法寺」のお堂を建てるに至ります。
江戸時代以降、数多くの寺院は戦災や開発によって移転しましたが、この「心法寺」は、この地にとどまり続けました。現在「心法寺」はこの地域で最古の歴史をもつ寺院として知られています。
※墓地内に関しては、一般公開されておりません。
東京メトロ丸ノ内線の東京駅と直結している「丸の内ビルディング」。通称”丸ビル”の名で親しまれる「丸の内ビルディング」横に「デ・リーフデ号像」はあります。
この「デ・リーフデ号像」が建つ丸の内2丁目は、かつて八重洲河岸がありました。この八重洲という名称は、オランダ人の船員ヤン・ヨーステンが由来しています。
遡ること1600(慶長5)年、ヤン・ヨーステンはオランダ船デ・リーフデ号に乗って九州に漂着しました。その後、徳川家康の信頼を得て外交と砲術の顧問となります。同年に勃発した関ヶ原の戦いでは、デ・リーフデ号の大砲や砲員を活用し、家康の勝利に貢献しました。このヤン・ヨーステンに授けられた屋敷が、現在の馬場先門から和田倉の堀のほとりまであったことから、このお堀を"やよす河岸"と呼ぶようになり、後に八重洲海岸(現在の八重洲とは違う場所)と定着したと言われています。
当初は江戸城内にありましたが、徳川家康による本丸築造、さらに徳川秀忠による江戸城増築に伴い、現在地に移転しました。主祭神の菅原道真に加えて、徳川家康も合わせて祀られています。
徳川幕府をはじめ紀州藩徳川家、彦根藩井伊家の祈願所でもあった「平河天満宮」。新年の賀礼には宮司が将軍に単独で面会できたりと、特別な格式で待遇されていました。
境内入って左手に鎮座するのは、撫で牛の像。かつてから牛は、乙丑(きのとうし)だった菅原道真の使いとして信じられきました。この神牛の像の耳元でお願いを唱えるとご利益があると言い伝えられています。健康を願うなら体の気にかかる部位を撫で、学問にまつわる願いなら頭を撫でるといいのだそう。
東京メトロ大手町駅、竹橋駅から徒歩5分の「皇居東御苑」。ここは、多くの史跡が残る皇居付属庭園です。江戸城の跡地が芝生広場として開放されている園内では、ほかにも天守閣が再建されることのなかった「天守台」や、天守の代わりとして使用されていた「富士見櫓(ふじみやぐら)」を間近で見ることができます。
江戸城のはじまりは、1457(長禄元)年。太田道灌によって築城された後、1524(大永4)年に北条氏の支城となります。1590(天正18)年に、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡し、徳川家康が移城しました。そして、家康が征夷大将軍に任ぜられた1603(慶長8)年に、本格的な改修工事がなされます。この際、江戸城の北に位置していた神田山を切り崩し、海を埋め立てて城下を広げました。さらに、江戸城の二の丸と三の丸が拡張され、新たに五層の天守閣も築かれました。
天守閣の土台である「天守台」は一般開放されており、登って景色を眺めることも可能。東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残されています。
江戸城跡地の南に位置するのは「富士見櫓」。この「富士見櫓」は、江戸城の史跡として唯一残る三重櫓として知られています。さらに「本丸休憩所増築棟」では、江戸城の復元模型を見ることも。なお、「皇居東御苑」には門が3つあり、竹橋駅からは「平川門」と「北桔橋門」が近く、大手町駅からは「大手門」から入場するのがおすすめです。
東京メトロ半蔵門駅から徒歩5分の「半蔵門」。当時、地形的に守りの弱かった江戸城の西側に守備のために建てられました。
徳川家康の信頼が厚い服部半蔵の伊賀衆を守備にあてたことから、「半蔵門」と名付けられたと言われています。なお、江戸城にあった他の御門は土地や川から名付けられていますが、この「半蔵門」だけが人の名前に由来しています。
東京メトロ赤坂駅、溜池山王駅からそれぞれ徒歩3分のところにある「日枝神社」。この「日枝神社」は鎌倉時代に創建されたと言われています。その後、1478(文明10)年に太田道灌が江戸城内に改めて日枝神社の神様を祀りました。1590(天正18)年、徳川家康が移城してからは「徳川家の守り神」や「江戸の産神」として敬われてきたと言われています。その祭礼にも保護が加えられるようになり、祭りの山車や神輿が江戸城内に入る事が許され、山王祭は神田祭とともに天下祭とされました。
その後、江戸城は1657(明暦3)年、江戸時代最大の大火事とも言われる明暦の大火に見舞われます。社殿を焼失するも、その2年後に現在の地に再建され、現在にいたるまで人々の安全を見守り続けてきました。
本殿には御祭神として山の神様として知られる大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られ、家内安全などのご利益があると信じられてきました。また、境内には末社として「山王稲荷神社」「八坂神社」「猿田彦神社」が祀られています。
敷地内にある宝物殿には、徳川将軍家ゆかりの宝物や刀剣が収蔵されています。
JR御茶ノ水駅から徒歩5分、東京メトロ新御茶ノ水駅、末広町駅からそれぞれ徒歩5分のところにある「神田明神」。1600(慶長5)年、徳川家康が関ヶ原の戦いに臨む際、戦勝の祈祷をした神社として知られています。見事、関ヶ原の戦いに勝利をおさめた9月15日が神田祭の日であったことから、徳川将軍家より神田祭を絶やさず執り行うよう命じられました。
「神田明神」は1616(元和2)年、江戸城の鬼門の守護のため、現在の千代田区外神田の場所にご神体を移します。幕府によって創建された社殿が現在の「神田明神」です。
なお、神田祭は祭月が9月から5月に変更された今も多くの人が訪れる祭礼として知られています。
「神田明神」の大鳥居をくぐった右手側で営まれているのは「三河屋 綾部商店」。ここは1616(元和2)年の開業当時から、糀(こうじ)製品を製造、販売し続けてきた歴史の深い老舗です。
「三河屋 綾部商店」を築いた初代は、もともと現在の愛知県に位置する三河国で徳川幕府の御用商人をしていました。徳川幕府と共に江戸に出た後、「神田明神」が現在の場所に遷座された同年に「三河屋 綾部商店」も創業されています。それ以降、多くの人々に愛される名店として現在も「神田明神」の近くで営業をしています。
店内には喫茶スペースも設けられており、自家製の糀を使用した「延寿甘酒」や、ふわふわ生地の「酒まんじゅう」などが飲食可能。「延寿甘酒」は、クセのないまろやかな甘みとすっきりとした後味が特徴。お土産にもおすすめ。
徳川家康に所縁のある9つの土地や施設、店舗を紹介しました。実際に訪れることで、家康のバックボーンや生き様を感じられるはず。もしかすると、作中で江戸城をはじめ今回紹介した場所が登場するかもしれません。