今回は千代田区観光協会が、区内に残る史跡や名所など歴史的価値のある観光スポットをまとめたちよだ歴史さんぽMAP③「近代建築めぐり」からコースを紹介。「マップを見ながら千代田区周辺の歴史を楽しむのはもちろん、街並みや自然、建物を楽しみ、さらに素敵なお店などを知ってもらいたいです」と語る。
古くからの建築技術を用いて造られた建築物が多く残る千代田区。中でも飯田橋から麴町のルートは、さまざまなクラシカルな佇まいの建築物が点在しています。そこで今回は千代田区観光協会が、国会議事堂から大使館、名家の旧宅邸など、現代建築とは一味違う伝統を感じられる建築物を紹介。建築物を巡りながら、当時の暮らしを連想してみるのはいかがでしょうか。
※内覧できない建物もあるので、ご注意くたださい。
【千代田区景観まちづくり重要物件・東京都選定歴史的建造物】1937(昭和12)年 長谷部鋭吉
日本神学校として「祈り」をテーマに建てられました。
シンプルな造形ですが、塔の上部や礼拝堂の窓のデザインが印象深い建物です。設計者の長谷部鋭吉は、こうした重厚ななかにも部分的に様式の意匠を導入するのが得意だったといわれています。
【フィリピン国外国家的歴史建造物】1935(昭和10)年 横河時介
もとは安田財閥の一人安田岩次郎の住まいとして建てられました。岩次郎の姪にあたるオノ・ヨーコが幼少期を過ごしたことでも知られています。デザインはスペイン風を基調にゴシック調や和風などが混在します。フィリピンの国外国家的歴史建造物にも指定されています。
【登録有形文化財】1927(昭和2)年 内藤多仲(構造)/木子七郎(意匠) 登録有形文化財(建造物)
小間物商で財を成した山口家5代目の自宅として建てられたスパニッシュ様式の洋館。構造を東京タワーで知られる内藤多仲、意匠を木子七郎のほか今井兼次、吉田鐡郎、家具や建具を梶田恵、という錚々たるメンバーが手がけました。現在は会員制ビジネスイノベーション拠点として保存・活用されています。
1910年に近衛師団司令部として建てられました。
ネオ・ゴシック様式で、赤レンガと白い石材の対比、細いバットレス(補助壁)が並ぶリズミカルな壁面などが特徴です。田村鎮はとくに多くの軍関連施設を手がけています。
※下記QRコードから、VR内覧することができます。
英国は明治新政府とのつながりが深く、早くから江戸城に近いこの地を与えられました。レンガ造だった建物が関東大震災により倒壊し、昭和初期に英国工務省の設計により鉄筋コンクリート造石貼りの現在の建物が建てられました。
【千代田区景観まちづくり重要物件】1926(大正15)年
関東大震災後に建て直された、いわゆる復興小学校の一つです。二重に縁取りされたアーチ窓が特徴。近年、大規模な改修がなされましたが、この特徴部分は保存されています。復興小学校は復興公園とセットで構想されていて、昇降口は隣接する東郷公園側にあります。
【東京都指定有形文化財】1930(昭和5)年 宮内省内匠寮 課長:北村耕三 技師:鈴木鎮雄、権藤要吉
1930年に李王家東京邸として竣工した美しいチューダー様式の洋館。戦後、売却され初代赤坂プリンスホテルとなり、2016(平成28)年から現在の名称となりました。設計は宮内省内匠寮の北村耕造、権藤要吉らといわれています。
明治時代初期から構想がありながら、紆余曲折を経て完成したのは50年余を経た1936年。
設計も、一度はコンペで最優秀案を選びながら、多くの改変が加えられ設計者は誰と特定できません。
国内有数の有名建築であり、すべて国産材で一流の職人たちの手によることはわかっていますが、デザインモチーフなども不明です。謎の多い建築です。
国会議事堂 詳しくはこちら
住所 | 東京都千代田区永田町1-7 |
TEL | 03-5521-7445 |
営業時間 | 9:00~16:00(9:00、10:00、11:00、12:00、13:00、14:00、15:00、16:00の一時間ごとに参観のコース案内が開催) |
所用時間 3H