皇居・東京駅・日比谷 渋沢栄一像
INFORMATION基本情報
- 所在地東京都千代田区大手町2丁目7−2 常盤橋公園内
- アクセス東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」B1出口より徒歩5分
渋沢栄一所縁の地を巡る特集ページ
https://visit-chiyoda.tokyo/app/feature/detail/67
常磐橋公園に建つ、「近代日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一の銅像
日本経済の礎を築き、のちに「近代日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一。そんな渋沢栄一の銅像は都内に3体あり、その内の一体が日本橋川沿いの「常磐橋公園」に建てられています。この銅像は「東洋のロダン」とも称された彫刻家、朝倉文夫が製作しました。この銅像は2代目で、初代の渋沢栄一像は1933年11月11日の渋沢栄一の命日に完成。第二次世界大戦による金属提供で一度は撤去されましたが、その後再び朝倉文夫の製作により1955年に再建されています。
渋沢栄一は1840年、現在の埼玉深谷市である武蔵国に誕生しました。その後、江戸へ出て、神田小川町裏神保小道に住居を構えています。征夷大将軍となった徳川慶喜に従って幕臣となり、明治維新後は政府の官僚として財務や経済政策に携わりました。ですが、大隈重信との対立を機に官職から退くことになった渋沢栄一は、実業家として数多くの民間企業の設立や金融業の指導に尽力します。
渋沢栄一は、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与したことでも知られています。また慈善事業や民間の外交など幅広く活動し、2度ノーベル平和賞の候補に挙げられました。そんな日本経済に大きな影響をもたらした渋沢栄一は、1931年に91歳という年齢でその人生に幕を引きました。
三越前駅から徒歩2分、大手町駅から徒歩4分の「常磐橋公園」。この公園は1933年に財団法人渋沢青淵翁記念会によって復旧整備が行われ、旧東京市の公園となり、現在は千代田区立公園として開園されています。
かつて、江戸城の城門の一つ常盤橋門があった場所でもあり、現在も残されている城門の石垣は「常盤橋門跡」として国の史跡に指定されました。また、隠れた梅の名所としても知られている「常磐橋公園」。2月末から3月初旬になると園内に植えられた梅の木が芽吹き、見頃を迎えます。