皇居・東京駅・日比谷 将門塚
INFORMATION基本情報
- 所在地千代田区大手町1-2-1
- アクセス大手町駅C5出口すぐ
語り継がれてきた逸話を持つ、平将門の首を供養するために建てられた「将門塚」
平将門の乱の後、将門は自らを"新しい天皇”を意味する「新皇」と称し始めました。朝廷に反逆したとみなされた将門は平貞盛の軍と交戦し、下総の地で討死。その首は藤原秀郷により平安京の七条河原でさらされることになりました。
この話にはもう一つ、語り継がれている逸話があります。平安京でさらされた平将門の首は、数ヶ月経った後も目を開いたり閉じたりを繰り返し、ときには「首を繋げて再戦したい」と叫ぶなどして民を恐怖に追いやりました。その後、平将門の首は怨念により故郷の東国に向かって飛んでいき、その途中の土地土地に落ちた、という伝説があります。その首が落ちた場所の一つが、ここ「将門の首塚」なのです。
更にその伝説は続き、その後13世紀になると首塚は荒廃し、平将門の亡霊は怒り江戸の民を祟ったと言い伝えられてきました。祟りを恐れた江戸の民は、また改めて手厚く平将門を供養することにしたそうです。なお、塚そのものは関東大震災後、大蔵省再建の際に崩されています。
ちなみに「将門塚」があるこの土地は、江戸時代の大名、酒井雅楽頭の上屋敷の中庭でした。その中庭は、山本周五郎の歴史小説「樅の木は残った」の、原田甲斐の刃傷事件の舞台となっています。また「将門塚」以外にも、千代田区には「神田明神」や「築土神社」など、平将門の所縁の地があります。
超自然的なエピソード、現象に興味のある人はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。