飯田橋・九段・市ヶ谷・北の丸 蕃書調所跡
幕府によって設立された洋学研究機関です。嘉永6年(1853)のペリー来航以後、洋式軍事技術導入や外交上の要請から時の老中阿部正弘のもとで開設が計画されました。安政3年(1856)九段下の竹本主水正屋敷にて業務を開始、その後小川町、一橋門外へ移り、明治維新後は大学南校となり、東京大学へと発展しました。
当初、聴講生は幕臣旗本の子弟でしたが、諸藩士、一般有志の聴講も許されました。創設にあたっては、官学最高の地位にあった儒学者の林大学頭から横やりが入り、「野蕃」の字が付けられたといわれています。
INFORMATION基本情報
- 所在地千代田区九段南1-6
- アクセス九段下駅4番出口より徒歩1分