井伊掃部頭邸跡

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憲政記念館一帯には、江戸城時代初頭、熊本藩主加藤清正の屋敷がありました。付近には清正が掘ったと伝えられる「桜の井戸」も残ります。その後、彦根藩井伊家の上屋敷となる。掃部頭は歴代の井伊家宗家の党首が名乗った官職で、幕末の藩主井伊直弼も掃部頭を名乗りました。
この公園一帯は、江戸時代初期には肥後熊本藩主加藤清正の屋敷でした。加藤家は二代忠広の時に改易され、屋敷も没収されました。その後、近江彦根藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新まで利用しています(歴代当主は掃部頭を称しました)。幕末の大老井伊直弼は、万延元年(1860)3月に、この屋敷から外桜田門に向かう途中、水戸藩士等に襲撃されました。

INFORMATION基本情報

  • 所在地東京都千代田区永田町1-1

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