今回は千代田区観光協会が、区内に残る史跡や名所など歴史的価値のある観光スポットをまとめたちよだ歴史さんぽMAP➀ 「江戸城とお堀めぐり」からコースを紹介。「マップを見ながら千代田区周辺の歴史を楽しむのはもちろん、街並みや自然、建物を楽しみ、さらに素敵なお店などを知ってもらいたいです」と語る。
江戸城跡地のある千代田区には、将軍と血縁関係を持つ親藩大名の屋敷が多く存在しました。そこで今回は、千代田区観光協会が長い歴史の中で栄華を極めた大名たちの屋敷跡地を紹介。中には、建物の一部や庭園が現代に残されている土地も。優れた防衛力を携えた江戸城の跡地と、江戸時代の繁栄を支えた日枝神社を交えてコースを案内します。
JR四ツ谷駅前の麴町大通りの北側に位置する上智大学一帯は、徳川御三家のひとつ、尾張藩徳川家の中屋敷でした。徳川家康9男義直を藩祖とする尾張徳川家は、1637(寛永14)年にこの屋敷を拝領すると、幕末まで世嗣や隠居の住まいなどとして使用しました。
紀尾井ホールの筋向かいにある丘が、喰違見附跡です。1612(慶長17)年に旧武田家臣の小幡景憲によって縄張りされたと伝えられます。江戸城外郭門で唯一、石垣ではなく土塁による虎口(城の出入口)で、江戸時代初期の形状が今に留まる貴重な史跡です。
ホテルニューオータニの一帯は、彦根藩井伊家の屋敷でした。上屋敷は、現在の憲政記念館あたりにあり、ここは中屋敷として用いられていました。この老舗ホテル内に現在も残る池泉回遊式の日本庭園は、400余年の歴史を誇る名園のひとつです。
弁慶濠沿いに広がる東京ガーデンテラス紀尾井町一帯は、徳川御三家のひとつ紀州徳川家の上屋敷でした。初代藩主は、徳川家康の10男頼宣。8代将軍吉宗、14代将軍家茂を出しました。現施設の敷地内にも、屋敷の石組遺構の一部が移築されています。
弁慶橋を赤坂方面に渡り、左に進むとすぐに赤坂見附跡があります。1636(寛永13)年、福岡藩の初代藩主黒田忠之らによってつくられました。相模大山に参詣する際の大山道の出発点でもあったので、賑わっていたといわれています。現在は枡形の石積が一部残るのみとなっています。
「山王さん」の呼び名で親しまれている日枝神社は、太田道灌が1478(文明10)年に江戸城内に山王権現を祀ったのが始まりと言われています。
江戸時代には徳川家の産神として信仰され、その後は江戸庶民の参拝を可能にするため、半蔵門外に移築され、明暦の大火後に現在地へ。
東京メトロ虎ノ門駅付近には、外堀の石垣が数カ所に残っています。1636年(寛永13)年、佐賀藩主鍋島勝茂らによって江戸城の総仕上げとしてつくられました。虎ノ門駅の文部科学省連絡通路内で見ることができます。説明板には、当時の石積工法も記されています。
所用時間 1H