同志社大学の創立者として知られる新島襄先生は、上野(群馬)安中藩三万石、板倉伊予守の家臣の子として藩上屋敷(現在の神田錦町、学士会館付近)で生まれました。
長じて藩士となり蘭学を修めましたが、元治元年(1864)脱藩し密航し米国に渡りました。米国で洗礼を受け、アーモスト大学を卒業しました。
明治維新の後、岩倉具視遣外使節に随行し、各国の教育制度を調査しました。帰国後、京都を拠点に伝道活動に励み、明治8年(1875)年同志社英学校、同10年(1877)年同志社女学校を創立しました。引き続き大学設立を目指し尽力中に明治23年(1890)にその生涯を閉じました。
例年2月12日の生誕日には、生誕地近郊の学士会館で生誕祭りが行われています。
長じて藩士となり蘭学を修めましたが、元治元年(1864)脱藩し密航し米国に渡りました。米国で洗礼を受け、アーモスト大学を卒業しました。
明治維新の後、岩倉具視遣外使節に随行し、各国の教育制度を調査しました。帰国後、京都を拠点に伝道活動に励み、明治8年(1875)年同志社英学校、同10年(1877)年同志社女学校を創立しました。引き続き大学設立を目指し尽力中に明治23年(1890)にその生涯を閉じました。
例年2月12日の生誕日には、生誕地近郊の学士会館で生誕祭りが行われています。
INFORMATION基本情報
- 所在地神田錦町3-28
- アクセス神保町A9出口より徒歩1分