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千代田区の歴史的スポットを紹介する「ちよだ歴史さんぽMAP~江戸城とお堀巡り~」から江戸城内を巡るコースをご紹介します。
旧江戸城の正門で、参勤交代で江戸に滞在していた大名たちはここから新年や月次で登城する際に使用しました。大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。
大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たりました。
中雀門を入って左手の本丸南端に位置する三重の櫓です。櫓の高さは約16メートルあります。どこからみても同じような形に見えることから「八方正面の櫓」とも呼ばれています。明暦3年(1657)の大火で天守閣が焼失した後は、その代わりとされたと伝えられる重要な建物です。櫓の上からは富士山はもとより、秩父連山や筑波山、東京湾などを臨むことができました。
江戸城本丸の一番北側に位置しています。江戸城の天守は、慶長12年(1607)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であったともいえます。
九代将軍家重の時代の庭絵図面をもとに復元された日本庭園です。二の丸は、将軍の世嗣(後継者)が全将軍の正室のための御殿が置かれた場所です。鑑賞や遊興の場として親しまれた池泉回遊式庭園は、1630(寛永7)年ごろに、武家で茶人の小堀遠州が作庭しました。現在の庭は、1965(昭和40)年に復元したものです。
三の丸の正門である平川門は、1620(元和6)年、仙台藩主伊達政宗ほか六名の大名によってつくられた江戸城三の丸の正門です。本丸大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」、場内の死者や罪人などの出口とされていたことから「不浄門」ともいわれます。
平川門を出て左手に、3つの意思を組んだ石碑があります。江戸・東京の繁栄と発展の基礎を築いた室町時代の武将太田道灌の追慕碑です。1457(長録元)年、太田氏は現在の皇居東御苑あたりにわずか1年で江戸城を築城したといわれています。この碑の材は、虎ノ門の石垣の一部が使われています。
所用時間 1.5H