三島中州 【みしま ちゅうしゅう】

1830年~1919年
  • ヒストリー&カルチャー
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幕末・明治の漢学者。岡山(備中)の人。幼くして漢学を学び、二十八歳のとき江戸に出て昌平黌に入り、佐藤一斎、安積良斎に学ぶ。後に松山藩有終館の学頭となる。維新後、再び上京し法曹界で活躍するが、後に麹町一番町(現・三番町)に家塾二松学舎(二松学舎大学の前身)を設立し、漢学を教える。当時は、慶應義塾などと並び三大学塾として名声を誇った。また三洲の漢学の学殖は明治の三大文宗と称された。若き日の夏目漱石も二松学舎で漢学を学んでいる。