広瀬武夫 【ひろせ たけお】
1868年~1904年
明治期の海軍軍人で日露戦争の軍神とされた。大分県生まれ。1889年海軍兵学校を卒業し、97年ロシア留学。中佐となって日露戦争に参加、福井丸を指揮する。ロシア軍の攻撃で船が沈没しかけため退船を決断。端船に移るさいに、部下の杉野兵曹長がいないことに気づき船内を探し回り、そのため自らが被弾し戦死した。この事実が広く報じられ、広瀬中佐の名は広まった。1910年旧国鉄万世橋駅(現在の交通博物館)前に銅像が建てられたが、1947年GHQの命令で撤去された。