塙保己一 【はなわ ほきいち】

1746年~1821年
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江戸後期の国学者。武蔵野国児玉郡の人。幼名寅之助。号は温故堂。幼いときに失明する。江戸に出て鍼術や音曲を習ったが、この方面では才をしめさなかった。のち和漢の学問を熱心に学び、たぐいまれな記憶力によって広い知識を身に着ける。1779年日本の古書を集録した『群書類従』の編纂に入り、40年後に完成させた。1793年幕府の援助で三番町に学問所・和学講談所をひらく。ここで『史料』『武家名目抄』などを編纂。これらは近代の国史・国文研究の基礎となった。