永井荷風 【ながい かふう】

1879年~1959年
  • ヒストリー&カルチャー
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明治・大正・昭和期の作家。本名壮吉。荷風が十六歳のときから住んでいた屋敷が一番町四十二(現・三番町六)にあった。優秀な官吏であった父・久一郎は、荷風が十九歳のとき、退官して日本郵船に入社し上海支店長になって単身赴任。荷風はこの時期、東京外国語学校支那語科に入るもののあまり勉学せず、尺八や落語に凝り、小説を書いて懸賞小説一等賞を獲得した。まさに荷風文学の原点がこの番町界隈にあるといえよう。その後アメリカ、フランスへと遊学。慶應義塾大学教授となり『三田文学』を主宰、『つゆのあとさき』『墨東綺譚』などの市井の風俗を赤裸々に描いた小説を書いた。長年書き綴った日記『断腸亭日乗』も貴重な証言である。