織田有樂齋 【おだ うらくさい】
1547年~1621年- ヒストリー&カルチャー
織豊期の武将・茶人。織田信長の弟で、名は長益。
信長の死後は豊臣秀吉に従う。関が原の戦では徳川氏に属して戦功があり、大和で三万石を与えられた。また大阪城の豊臣秀頼を補佐し、大阪冬の陣では徳川家康との和解を進めるが、夏の陣直前、京都に隠棲。
三万石の領地のうち二万石を子供たちに分け、残りの一万石を自分の養老料とし、茶事を楽しんだという。
千利休の高弟で、茶道有楽流の祖。茶室◆如庵【じょあん】をつくる。
江戸の有楽町は有樂齋の屋敷跡で、数寄屋を構えた所が数寄屋橋の名に遺っている。
信長の死後は豊臣秀吉に従う。関が原の戦では徳川氏に属して戦功があり、大和で三万石を与えられた。また大阪城の豊臣秀頼を補佐し、大阪冬の陣では徳川家康との和解を進めるが、夏の陣直前、京都に隠棲。
三万石の領地のうち二万石を子供たちに分け、残りの一万石を自分の養老料とし、茶事を楽しんだという。
千利休の高弟で、茶道有楽流の祖。茶室◆如庵【じょあん】をつくる。
江戸の有楽町は有樂齋の屋敷跡で、数寄屋を構えた所が数寄屋橋の名に遺っている。