大久保彦左衛門 【おおくぼ ひこざえもん】
1560年~1639年- ヒストリー&カルチャー
江戸前期の旗本。大久保忠員の子で、名は忠教。三河国生まれ。
徳川譜代として、一族とともに幼少から家康に仕えた。1576年の遠江国乾の戦が初陣だったが、以来、戦のたびに戦功をあげ、1590年には武蔵国に二〇〇〇石を拝領。
1614年、駿府に呼ばれ、三河国で新たに一〇〇〇石を与えられた。家康から家光までの三代の将軍に仕え、「天下のご意見番」として、家康が重大事を決める際には列席。遠慮のない意見を述べたという。
1632年には旗奉行。著書に『三河物語』がある。
現在の神田錦町三丁目あたりに住んでいたと伝えられている。
徳川譜代として、一族とともに幼少から家康に仕えた。1576年の遠江国乾の戦が初陣だったが、以来、戦のたびに戦功をあげ、1590年には武蔵国に二〇〇〇石を拝領。
1614年、駿府に呼ばれ、三河国で新たに一〇〇〇石を与えられた。家康から家光までの三代の将軍に仕え、「天下のご意見番」として、家康が重大事を決める際には列席。遠慮のない意見を述べたという。
1632年には旗奉行。著書に『三河物語』がある。
現在の神田錦町三丁目あたりに住んでいたと伝えられている。