内田百閒 【うちだ ひゃっけん】

1889年~1971年
  • ヒストリー&カルチャー
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明治・大正・昭和期の作家・随筆家。本名栄造。

陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などでドイツ語を教える。この間、夏目漱石の知遇を得て作家生活に入る。瓢逸味に溢れた『百鬼園随筆』によって人気を集める。

昭和12年、麹町区土手三番町37番地(現・五番町12)の借家に住む。ここには、東京大空襲で焼け出されるまで住み、その後、隣家松木宅の庭にある掘っ立て小屋(五番町14)を借りて三年間を過ごした。

昭和23年から道路を隔てた向かい側の六番町6~15に40坪の土地を買い、歿する46年まで住んでいた。その間『東京焼尽』『ノラや』『日没閉門』など多くの作品を生み出した。