与謝野晶子 【よさの あきこ】
1878年~1942年- ヒストリー&カルチャー
明治・大正・昭和期の歌人。反戦詩『君死にたまふこと勿れ』で知られる情熱の歌人与謝野晶子は大阪堺市の生まれ。幼少の頃から文学に親しみ、明治三十三年『明星』に短歌を発表して与謝野鉄幹と出会う。結婚の年(1901)に発表した第一歌集『みだれ髪』は、新世紀にふさわしい女性の自我を高らかに謳った歌集として文学史上に輝いている。女流作家の第一人者となってからは、古典の『平家物語』『源氏物語』を現代語に訳し、さらに女性活動家としても人気を得る。生涯に五万首の短歌を詠んだという。晶子・寛夫妻は、1909年(明治42)渋谷から神田駿河台東紅梅町に転居、翌年から中六番町三番地(現・四番町九)、さらに翌年一一月隣地の中六番町七番地(現・四番町九)に移り、1915年に富士見町五丁目九番地(現・富士見二丁目一〇番)に転居。一九二七年に荻窪に移転するまでの十八年間を千代田区で過ごしている。その間、明治四十四年鉄幹はフランスへ遊学し、それを追うように翌年晶子もまた渡欧した。