柳沢吉保 【やなぎさわ よしやす】

1658年~1714年
  • ヒストリー&カルチャー
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徳川綱吉の側用人【そばようにん】。館林藩主綱吉の家臣・柳沢安忠の子。幼年より綱吉に仕えるが、綱吉の将軍就任とともに小納戸役で幕臣に。以後、綱吉の信任厚く破格の昇進を続け、88年、一万二〇〇〇石で将軍側近の側用人となり、老中をしのぐ権勢をふるう。神田橋門内(現・神田美土代町)の吉保の屋敷には、たびたび綱吉が訪れたという。のち老中上座となり、1704年には一五万石を与えられ、甲府に移封。在任中は文学を愛し、荻生徂徠、細井廣澤ら学者を重用。幕政におおいに貢献した。綱吉の死後は保山と称し、隠棲。駒込六義園で余生を送る。