江戸の町に家康が隠した、
壮大な謎解き
1603年、征夷大将軍となった家康は、
江戸を政治の中心とすることを志し、
壮大な思想を持って、
都市を築き上げたと言われている。
都市計画の中で、家康が特に意識していたと思われるのが「鬼門」だ。
鬼門とは北東の方角のことを指し、古来より鬼が出入りする方角とされている。
反対側の南西も「裏鬼門」と呼ばれ、同様に忌むべきものとされてきた。
とある歴史書には、家康はこの地に鬼の邪気が入り込まぬよう、
”江戸に鬼除けの矢を刻んだ“と記されている。
もしかして、家康の都市計画は「風水」「四神相応」「陰陽五行説」など、
スピリチュアルな思想を反映したものではなかったのか?
その仮説を裏付けるように、とある歴史書に記された、とある地から、
“破魔の弓矢”の文字と暗号が散りばめられた、三冊の書物が発掘された。
家康はどのようにして江戸の町に矢を刻んだのか、その背後には、いったいどんな
思惑があったのか?この三冊の書物を紐解けば、明らかになるかもしれない。
江戸の町に刻んだ矢の真の姿、その“鬼除けの矢”に込めた家康の真意とは?
―壮大な謎解きが今始まる。
※この物語はフィクションです。